The Birth of Mersey Beat
マージービートの誕生
マージービート歌詞ノート表紙。 時代を反映したかわいいノートです。
マージービート誕生は1978年に遡ります。 中学3年生のときに、のちのマージービートの初代Bassとなる山本くんが転校してきたところ物語は始まります。
転校してきた山本くんは、その中学にいた中戸くんと友人になります。お互い音楽好きということで意気投合しました。当時は、アリス、松山千春、Kiss Deep Purpleなどの影響で、楽器演奏を始める男子が沢山いました。
2人は一緒に楽器店に通い、山本くんはエレキギター、中戸くんはバイオリンベースを購入し、せっかく楽器を買ったんだから、文化祭に出ようということになり、中学の文化祭で、ビートルズの曲を演奏しました。演奏曲目は、Hey Jude, Can’t Buy me Love, Helpなどでした。
選曲はビートルズ好きの中戸くんのチョイスで、バンド名は山本くん目名で、ストリームという名前でした。
ビートルズ好きの中戸くんから、当時の逸話を聴いたことがあるのですが、他のたくさんのビートルズファン、洋楽ファンにも覚えがあると思いますが、彼はビートルズの曲を聞いて、一生懸命カタカナで歌詞を書いて覚えたとのことです。その後実際の英語の意味、歌詞がわかるように成って、間違いだらけで覚えていて、思わず苦笑いしたという、又これも皆経験のあるエピソードですね。
その後、両名は各々別の高校に進学します。
高校3年生の時に、大学受験の後中戸くんが山本君にバンドをしないかと誘いました。 その際に初代稲田くん(初代ドラム)を紹介されました。
稲田くんも同じ中学だったそうですが、その時会ったのが初めてで、すぐに友人に成ったそうです。3人は同じ中学、中戸くんと稲田くんは同じ高校、中戸くんと山本くんはその後同じ大学、という関係になりました。
バンド名マージービートは、ビートルズ好きの中戸くんがビーツルズファン向けの会報の中に書かれていた、”Mersey Beat”という言葉を見つけ、「バンド名はこれにしよう」ということで決めたそうです。
結成当初は、The Jam, Clash, Motownの曲のカバーを練習していました。 これは3人共、Jam、Clashに影響を受けたためです。
程なくオリジナル曲を作りはじめました。
作曲方法は、中戸くんのギターの弾き語りテープを3人で聞きながら編曲してゆくスタイルでした。
記念すべき第一曲目は、”Under Ground” 2曲目は”Plans of lunatics”でした。 代表曲の1曲、”Plans of Lunatics”が2曲目に生まれた曲というのは驚きですね。
初ライブは、BAHAMA(@アメリカ村)で、対バン相手もいました。(どのバンドかは失念されたそうです。)その後、デモテープを色々なライブハウスに持ち込み、天王寺の「不思議の国のアリス」や、その他ライブハウスで演奏する機会も増えました。
そして、心斎橋のプランタンのオーディションを勝ち取り、定期継続出演が決まりました。
プランタンはファッション商業ビルで、ライブ会場は館内全体に映像放映できるテレビカメラを備えた、当時では珍しい観客スタジオでした。録画が館内で流れたりしたので、ちょっとした有名人気分も感じられたとのことです。
ところが、喜びもつかの間となる事態が襲います。
違うジャンルの音楽がやりたいということで、ドラムの稲田くんが脱退します。
せっかくプランタンでの定期演奏が決まったにもかかわらず、ドラムの脱退でマージービートはふりだしに戻り、2代目ドラムの花石くんが加入するまで、足踏みの状態となります。
実際には1-2ヶ月程度だったそうですが、ひどく長く感じられたとのことです。その後練習を経て、ライブ再会までには3-4ヶ月かかったとのことでした。
こぼれ話:中戸君に以前聴いたことがあるのですが、最初のステージではCLASHのカバー を演奏し、ステージ衣装もCLASHと同じ雰囲気のものだったそうです。 後のマージービートのスタイルからは想像できませんが、もしそのままだったらPUNKバンドに成っていたかもしれませんね。
この続きお楽しみに。
By:鈴木博之 初代ベース山本さんにご協力いただき、質問をお送りして、鈴木がまとめました。