『2010年代のOSAKA MODS MAYDAY。そして2020年代へ。』

更新日:2021年10月6日


text by chikusa(OSAKA MODS MAYDAY)

2010年代、大阪のモッズメイデイ&モッズシーン。

Saturday's kids世代の皆さんによる大阪モッズシーン黎明期と比べるとまたかなり違ったものになっていると思うし、そもそも現在の大阪においてはモッズシーンというどこからどこまでがそうなのかが曖昧なものについてまとめるというのも考えただけでも頭が痛い。

またこの後、読んで頂くうえで"モッズシーン"または単純に"シーン"、"大阪"なのか"関西"なのか、みたいに微妙に表現の違いが頻発することになると思うがその曖昧さがまさに頭痛の種でもあり、その辺は大目に見て頂きたい。

と、いくらか暗い感じのスタートになってしまったがお伝えしたいのは大阪モッズシーンは今もなお愛すべき、魅力的なシーンであるということ。

それだけは早いうちに言っておく。

まずこのシーンが直近の約10年どういうものだったかといえば、シーンのフェイス格であり四半世紀も続くモンスターノーザンソウルパーティー『ヌードレストラン』がゾンネからjamjamへと拠点を移し国内はもとより世界にまでその名を轟かせた10年、大きな流れとしてはそんな感じだと思っている。

2011年から自分が主催する大阪モッズメイデイにも毎年DJのラインナップに加わってもらうなどなくてはならない存在であり、この10年のシーンにおける大阪モッズメイデイの位置付けといえば、ヌードレストランを中心とした関西のヴィンテージ音楽シーンの中でその一端を担った、というのが大体正解に近い。

無論、関与していない人からすれば異論もあるかもしれないしモッズシーンとノーザンソウルシーンを別物と捉える向きもあることは承知のうえだが少なくとも今の大阪、関西においてはほぼ同義である。

以上のことを踏まえつつ、2011年以降のモッズメーデーを中心にこの10年を振り返っていきたいと思うが、前置きとして自分がこのシーンに足を踏み入れ主催を引き継ぐまでの経緯や2000年代の大阪モッズシーンについても軽く触れておきたい。

時は90年代。

メディアやファッション誌でも取り上げられたほどのモッズブームは何となく知ってはいたものの、三重の田舎で思春期をのほほんと過ごしていた自分には決してリアルな物事ではなくあくまで他人事だった。

「モッズは3つボタンのスーツを着る」

「モッズはベスパに乗っている」

「モッズは1日に3回服を着替える」

当時モッズについて知っていた事といえば、友達が塾の先生(プログレ好き)から教えてもらったというこの数少ない貴重な情報のみ。

今ならWikipediaでももっと詳しく書いてある。

先に上がっている記事に照らし合わせて言うならまさに大阪ではギアが解散し、グラスグロウが結成され、キタアキ少年がコレクターズのライブに足を運んでいたのとほぼ同時代に、である。

今の時代では考えられない地域格差。

大阪モッズへの道は果てしなく遠い。

ただの個人の物語になるので省略するが、そんな状態からでも紆余曲折を経て奇跡の大逆転を果たし、この大阪のモッズシーンに出入りするようになったのが2004年頃、年齢にして24くらい。

キッズ?

ティーンエイジャー?

60年代なら年齢制限でモッズになれなかったかもしれない。

紆余曲折が過ぎて時間がかかってしまった。

ギアはもちろんグラスグロウにも間に合ってない。今思えば98年頃に関西に出てきたので頑張ったらギリ間に合ったかもしれないが、さすがにモッズについての情報をアップデートしてはいたものの何せ偏見がすごくて、学生時代にベスパ50sには乗っていたがモッズのイベントに行くにはラージボディのベスパかランブレッタに乗っていないとダメというか、相手にされないんじゃないかと本気で思っていたのでそれまではモッズイベントには行かなかった。否、行けなかった。

ようやく中免を取得しランブレッタLI2型を購入したのが2004年。これで晴れて自分もモッズの仲間入りだと、実際はまだ納車前だったが暫定・仮免モッズということで電車で初めて行ったモッズイベント、会場のcafe blue(現在の難波メレ)前にスクーターが3〜4台くらいしか停まっていなかったのには少しだけ戸惑った。

戸惑いはしたが、実はそうなんじゃないかと薄々気付いてもいたので少しだけで済んだし、こんなことならもっと早く来ればよかったと後悔もした。

当時、大阪でモッズのイベントをやったりラインナップに名を連ねていたのが、日本橋のRHBで行われていたMaking Timeのオガワさん&ヨシダさん、バンドではthe garnetsや寝屋川でモッズイベントを開催していたLos Tailors、ヨーロッパのデカいモッズイベントにも出演していたLes Cappuccino、そして盟友The Scarlettes、などなど。

そこにノーザンソウルをメインとしたNUDE RESTAURANT、OSAKA MANIFESTOの各DJ陣といった感じ。

我ながら空気が読めるタイプなので気を使って色々と名前を挙げているが「オレ入ってへんやんけ」みたいな方がいたらお許しを。

この頃を境に現在にまで繋がる先輩や仲間との出会いがあった。

特に当時堀江の某モッズブティックにいた我々世代のフェイス、ヌードレストラン・イズミさんの存在は個人的にとても大きく、週末になればしょっちゅう閉店間際まで入り浸っては色々な話を聞かせてもらい、またそこで出会った人達は今もイベントで顔を合わせたりする。

そんなこんなで自分でも神戸の『tore up』加入を機にDJ活動を始め『NEW CONTINENTAL』というイベントを仲間と一緒にやるうちに、2010年の3月だったと思うが前主催の先輩から

「来年からメイデイの主催やらないか?」

との話があり、

「えーボクがですか〜」

とお決まりの感じで一応は謙遜しつつ、いずれは自分がやるのだと勝手に思っていたのですんなり即決。

かくして'10年代が始まった。

さて、ここからがようやく本題。

2011年



「MODSとは?」

この果てしない宇宙のようなテーマと同様に、

「MODS MAYDAYとは?」

にも人の数だけ答えがある。

2021年現在からすれば1960年代から数えて既に約60年、日本でモッズメイデイが始まってからも既に40年、それだけ時間が経てばその解釈や理想は千差万別であり、「オレの」「ワタシの」あるべき姿のモッズメイデイが皆それぞれに存在する。らしい。

故に自分が主催するようになってからも賞賛から辛辣なダメ出しまで様々なご意見を頂戴するが、皆さんのご意見に基づいた最大公約数的なものにするつもりはあまりなく、シーンのど真ん中に身を委ねている自分だからこそできる、これが今の大阪のモッズメイデイだというものを形にするというのはずっと一貫してやっているつもりである。

そんなこんなで当時自分がやりたいと思っていたモッズメイデイを形にすべく、まず会場には中崎町のClub NOONを選んだ。シンプルに大阪で一番イケてるクラブだと思っていたからだ。そしてここなら、それまで数年出来ていなかったモッズメイデイ当日のスクーターラン、会場前にスクーターを並べるということが実現できる。

出演者のラインナップにはジャンルはバラバラでも確実に最高の時間を共有できる皆さんにお願いし、準備を進めた。

しかし、いざとなって問題発生。

フライヤーも刷り上がり、関係各所に設置をお願いしはじめて間もなく、風営法の問題でClub NOONが深夜営業不可となり、当初20時〜オールナイトで予定していたモッズメイデイも開催時間の変更を余儀なくされてしまった。

主催が代わって初回としてはなかなかの逆風ではあったが16時〜1時までという中途半端な時間ながらもスクーターチームSolowsによる久々のスクーターランで幕を開けた2011年のメイデイは多くの人で盛り上がり盛況のうちに幕を閉じた。

おそらく90年代以降ジャンルやスタイルがより細分化されそれぞれに発展を遂げていたものが、この数年前から再び異ジャンルのイベント間での交流が増え、決して馴れ合いではないリスペクトに基づく横の繋がりというか、そういう空気感が出演者間にもフロアにも溢れ、イメージしていたこれぞ大阪のモッズメイデイというものをある程度実現できたと思う。

好スタートの反面「こんなのモッズメイデイじゃない」といった感じで離れていった人も少なからずいるかもしれない。

代替わりとは得てしてそういうものかと割り切ってはいるが。

2012年



前年に引き続き風営法問題が尾を引いておりNOONのオールナイトはこの年も不可。苦肉の策でモッズメイデイを前半・後半の2部に分け、前半はライブメインでClub NOON、後半はDJメインで難波Meleで開催するべく動いていたが、4月に入ってすぐClub NOONが摘発の憂き目にあい会場変更の必要に迫られた。

最終的には全面協力頂いた難波Meleで通しで開催し、キャパシティの懸念はあったもののフロアは朝まで熱気に溢れ、大盛況で終えることができた。

この年は結果論ではあるがDJの数が多く、DJイベントを中心に成熟していた大阪のシーンを体現した一夜になった。

この頃のモッズメイデイ以外のモッズイベントとしては自分が関わっていた『NEW CONTINENTAL』がこの年を最後に止まってしまったものの、シーンを席巻していたガレージバンドJimmy&His Mojomenのタカオ君を中心に『THE IN CROWD』というイベントがスタートし、自分も関わらせてもらいながらその後数回に渡って松屋町の地下一階という店で開催された。

地下一階とは以前のサブタレニアンズである。

自ずと時代は繰り返す。

そして、この頃くらいから大阪モッズシーン的には少し新たな動きがあった。しばらくシーンから遠ざかっていた先輩達とメイデイやその他のイベントでお会いできる機会が増えたのだ。はっきりとした時期や経緯は覚えていないしなぜだったのかは分からない。SNSが広まったことは一つの大きな要因だと思うが、何にせよ自分が経験できなかった時代のレジェンド達の再登場は何かが起こる予感で少なからずワクワクしていた。

2013年



新たな会場探しから始めたこの年、2009年にもモッズメイデイを開催したことがある福島の2ndLINEにお世話になることに決まった。

当日は東京モッズシーンのレジェンド、マーク林さん率いるBLUE BEAT PLAYERSの出演などもあり多くの人で盛りあがったが、終盤には誰のライブか分からないくらいあんな人やこんな人までステージに上がり入り乱れるなかなかカオスな一夜になったことは思い出したくないが覚えている。

終了後、片付けや精算を終え会場の方に

「来年もよろしくお願いします!」

とご挨拶したところ

「来年は勘弁してください!」

と二つ返事で断られてしまった。

どうやら色々とオイタが過ぎたようだ。

大阪モッズの道は険しい。

2014年〜2015年





自分が初めて行ったモッズメイデイは難波ロケッツでのモッズメイデイ。

原点回帰というわけではないが、縁あって2014年、2015年は難波ロケッツで開催。

出演者に関してはこの両年も多分に漏れず、大阪のシーンでなくてはならないところから旬なところ、またその時の大阪のシーンにピタッとハマりそうなゲストバンド、DJを東京をはじめ他の都市から迎えて開催している。

この時期で言えばwack wack rhythm band、THE GENO、Soulcrapなど。

と、まとめてさらっと済ましてしまいそうになったこの時期、大阪モッズシーンにとってはとても大きな出来事があった。

2010年代を語るうえでは欠かせない、THE GEARの再結成である。



2015年10月10日に開催された再結成イベント『CRAWDADDY』。

THE GEARのステージには、ゲストとしてFAVE RAVESの青山さんやルイさん(exThe Hair)、DJには90年代にモッズメイデイを主催されていた遠藤さん。

大阪モッズとしてこの場に居合わせることが出来たのは本当にラッキーだった。

詳細は省略、というよりお恥ずかしながらイベント当日は酒の勢いに任せ刹那的に楽しむ性分なゆえ、楽しければ楽しいほど覚えてない。

ただこの日の数少ない記憶として、イズミさんがジャケットの内ポケットに天国のレジェンドの写真を潜ませていたことと、キタアキさんがイベント開始前にいつになく落ち着かない様子でソワソワしながら火が着いていないタバコを一生懸命吸おうとしていたことだけは鮮明に覚えている。

2016年



この年また衝撃が走る。

2年お世話になった難波ロケッツが閉店。。。

大阪モッズメイデイとしても思い出深い場所だけにショックは大きかったが、ここで苦難から見事に復活したClub NOONあらためNOON cafeで再び開催できることとなり2010年代も後半に突入した。

またこの年は秋に大阪では珍しく大きなモッズイベントが開催されたことにも触れておきたい。



The Scarlettesと以前から関西ともゆかりの深い岡山のcarburettorsによる『KINK!』。

モッズメイデイ以外にはなかなか分かりやすいモッズイベントが頭打ちになっていたタイミングで全国から多数の来場もあり盛大に盛り上がった。

2017年



この年、大阪モッズメイデイにTHE GEARが帰ってきた。

まさか自分が主催するモッズメイデイにTHE GEARが出演してくれるとは想像も出来なかったことであり感慨深いモッズメイデイとなった。



2018年〜2019年





2018年、2019年もともに豪華なラインナップが出揃った。

2018年には世界的にも有名なThe5.6.7.8'.sに何度も出演してもらっているSoulcrapをはじめ、60年代趣向が強いと言われる大阪モッズシーンではなかなか普段交わることの少なかったネオモッズバンドTHE ZIPなど。若い世代が少ないと言われて久しいシーンにも本当に少しずつではあるがバンドもDJも新しい顔が台頭している。

2019年にはルイさんがTHE TOKYO LOCALSを率いて2005年以来の大阪モッズメイデイ登場。

この年の様子はカメラマンによる写真が残してあるので興味がある方はFacebookのOSAKA MODS MAYDAYページを参照されたい。





そして2020年。

自分が主催してちょうど10年になるこの年は大阪が誇るお馴染みのメンツに加え、CD発売記念のレコ発を兼ねたTHE GEAR、金沢のSHOTGUN RUNNERS、26周年を迎えるNUDE RESTAURANTが4人揃っての出演といったラインナップを予定していたものの今なお猛威を振るうコロナ禍により中止・延期を余儀なくされてしまった。

2021年も同様に。

2020年は緊急事態宣言の最中、試行錯誤でDJ数名による配信という形にチャレンジしたものの、こんなことがやりたいわけじゃないと思ったというのが正直なところ。バンドやDJが一方的に提供するのではなく、その空間を共有することが大事なのだとあらためて気付かされた。

ここに世に出す前に一旦お蔵入りとなった2020年の未発表フライヤーを載せておく。来年こそモッズメイデイを開催できるようにと願いを込めて。



最後に。

先に寄稿されている皆さんの記事が今の我々世代にとって興味深いものであるのと同じように、直近の約10年〜現在についてのこの拙い文章がSaturday's kids世代の皆様や、たまたまこれを目にしたまだ見ぬ未来のモッズが来年以降の大阪モッズメイデイに来てもらえるきっかけになればうれしい。

ここまで読み返してみて、自分の文才の無さと明らかな途中の手抜き感は棚に上げつつ、なかなかこの大阪モッズシーンの魅力を伝えきれてないと感じるのは、言葉で伝えるのが難しく現場でその雰囲気、瞬間を体験しなければ分からないことが多分を占めるからであり、この愛すべき大阪モッズシーンをもっと理解して頂くにはやはり現場に足を運んで頂くしかないと思っている。

この大阪、関西のシーンについては"コア"だと評されることが多い。音楽、ファッション、ダンス、スクーター、色々ある中でもとりわけ音楽的な部分での評であるが、自分を含む当事者達にとってはおそらくなかなか的確な表現であると感じるとともに人から言われようものなら「褒められちゃった」と思うところであるが、実際のところ時にネガティブな意味合いが含まれていることも承知している。

しかしそれこそが独自の発展を遂げてきた大阪モッズシーンであり、志は高いが敷居は低く、スーツやスクーターは必須ではないし、ましてや3回も服を着替える必要もないので、これからの2020年代の大阪モッズシーンをともに楽しめる仲間が増える事を願っている。

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