Mersey beat Story: The beginning of the collapse and what was the trigger of it.

更新日:2021年5月31日

崩壊の始まりとそのきっかけ。

The beginning of the collapse and what was the trigger of it.



 


87年10月某日、奈良女子大の学園祭、マージービートには珍しい野外ライブ出演でした。

おそらく、バンド関係者の誰かに実行委員の知り合いか誰かが居たからだと思うのですが、いつもと違う開放的な野外ステージでのライブはとても楽しいものでした。

場所が女子大というだけあって、男子3名も妙にテンション高めでしたね。


当然マージービートの事は全く知らない聴衆の前での演奏でしたが、学園祭特有のアットホーム雰囲気もあってか、一曲終わる度に拍手の数も声援も増えていき、それなりにオーディエンスの受けは良かったと思います。

それよりなにより、みんなの心の中は、これからプロのアレンジャーやスタッフの方々との贅沢なレコーディングが待っていると思うだけでワクワクしっぱなしでした。



 

それから数日して12インチ盤のレコーディングも無事終わったマージービート。





 


待ちに待った大仕事をやり終え、さあこれから!と力んでいたのは自分ばかりで、今思うとメンバーはおそらくバンドの将来に対して各々の考え方の違いについてあらためて考えるようになっていたように思います。

今まで深く考えもしなかったバンドの将来、この先の活動に夢も膨らむ一方、漠然とした不安も感じ始めていたでしょう。


そして、次のライブで決定的なことが起こります。


 

11月某日、心斎橋MUSEホールのライブで、デビュー前のジュン・スカイ・ウォーカーズと、デビュー直後の人気急上昇中のゴーバンズが対バンでした。

楽屋での1枚。右がジュンスカ、左はゴーバンズ。


楽屋でのメンバー達。 中戸君は随分緊張しているようでチューニングに余念がないもののまだ余裕がある。 メンバーの友人も楽屋に遊びに来ていて、リラックスした雰囲気。



リハーサルの時はまだ余裕があるメンバー達。



「対バン」といえば聞こえは良いですが、完全な当て馬的要素が強いライブで、満員の会場を埋めていたのはほとんどがゴーバンズのお客さんでした。


最初対バンの相手を聞いた時、ゴーバンズはまあファンも沢山居るだろうけど、ジュン・スカイ・ウォーカーズはまだデビュー前、まあ、なんとか行けるやろ。相手にとって不足なし!と一人で思い込んでいました。


ジュン・スカイ・ウォーカーズのメンバーは、ステージ上のイメージとは違いとても礼儀正しく、人見知りだったのか出番前はずっと廊下で4人輪になってビートルズを歌っていたのが印象的でした。


自分は、このイベントが地元大阪で開催する余裕からか、アウェーの(と思っていた)彼らに「まぁ頑張りやぁ!」と言うような軽い気持ちでいました。

ところが、ステージに立ち演奏を始めた彼らは、会場いっぱいのゴーバンズを見に来たファンをあっという間に湧かせていました。


さすが後であれだけ有名になるバンドだけのことはあり、初々しいながらも確かな世界を持つ彼らの音とスタイルに自分も魅了されました。



次に登場したのが我がマージービートです。

何故かこの日は持ち時間もたった20分。

どう考えても短すぎるのですが、どういう事情でこんなブッキングに成ったのかは、今となってはわかりません。時間が少ないので、演奏曲目を5曲とし、うち4曲は12インチのアレンジそのまま再現しようとしてました。 

ただプロのアレンジャーに引っ張られる形で、自分たち技量以上に作りこまれたあのアレンジをライブで演奏するというのは正直無理な話だと今なら思うのですが・・・。

その時はもうすぐ12インチレコードが出るので、そのままを生で再現して観客の反応を見ようというものだったと思います。

そのためカナちゃん以外のメンバーは練習中も技術的な不安と向き合うことになり、当日の演奏もかなり硬いものになりました。

中戸君もめばちこ(注:ものもらい)でもできてるんか?と言いたくなるくらい、楽屋にいるときから帰るまで、終始真っ黒な大きめのサングラスを掛けていました。おそらくは緊張隠しだったのかもしれません。


さらに掴みの1曲目としてのカバー曲もKC&ザ・サンシャイン・バンドのThat’s the wayという、どういう意図があったのか全く謎な選曲でした。

誰でも知ってるカバーをやって受けないというのは致命的(大西君談)ということもあり、1曲目が終わって静まり返った(と思えた)会場の重苦しい冷たい空気感が、メンバーを見えない糸で縛り、ぎこちない演奏が更に噛み合わないという悪循環な演奏となりました。

結局最後の曲が終わるまで盛り上がるどころか、ほとんど拍手もありませんでした。



そうして、マージービート史上最低な出来のライブは終わり、スゴスゴとメンバーは袖に消えていきました。

会場で写真を撮っていた自分が聞いたのは、「なんやアレ?」というような言葉から、もっとひどい罵詈雑言のオンパレードでした。

無論、お客さんはゴーバンズ目当てでしたが、それらをも魅了したジュン・スカイ・ウォーカーズと比べたら、もう話にならないほど目も当てられない演奏と内容でした。


この後本命のゴーバンズが登場。もう会場は大盛りあがり、興奮の坩堝とはまさにこのことと言わんばかりで、自分たちは楽屋からその盛り上がりっぷりを痛々しく苦々しい思いで聞いていました。



 

当日リハーサルの後、昼ごはんはメンバーと明治軒で名物オムライスを食べていたのですが、先にゴーバンズのフロント2人が店内に居て、ファッション雑誌の取材で、食事中の写真を撮られていて、ああ芸能人なんだなーと思いました。

あと、昼飯からMUSEに戻る道でアルフィーの坂崎幸之助にバッタリ遭遇しました。

ほんと、その日のショックからか肝心なことより、こんなどうでもいいことばっかり覚えています。


 


頑張って掴み取ったご褒美で作らせてもらった12インチレコード。

しかしそのアレンジと同じ演奏をしようとしても全く受けない・・・。

この事実はとても大きかったですね。

今考えると、そもそもあのアレンジの再現なんてライブでやらなくっても良かったんです。メンバー達は、言葉には出しませんがかなり打ちのめされていたのだと思います。


自分は、それでも12インチのジャケットの写真撮影をしないといけないということで、この日ライブが終わってから、皆に残ってもらいミューズの建物のアチコチで写真を撮ったのですが、中戸君は酷く疲れていたり大西くんがヤケになってはしゃいだり、4人で良い顔している写真が1枚もなく、それはまるでこの日のライブを象徴するかのような写真ばかりで、結局どの写真も選ばれませんでした。



この日のライブを境に、徐々に演奏がストレスになっているように見えました。

週2のスタジオ練習も以前のような明るい雰囲気はなく、重い空気が続いたように思います。



そして、12月の初めには梅田のバナナホールで数バンドの対バンでライブに出ます。

このときの演奏は、この間の失敗もあったので、今まで通りの自分達らしい演奏スタイルに戻ろうとしたと思います。カナちゃんのみD50も加えたアレンジだったと思います。

しかしながら、この間の演奏のトラウマでしょうか、どうにもこうにも演奏にハリがありません。前回はプロとの対バンだったので、盛り上がらないのは仕方ないっていうか、そういう慰めもあったと思うのですが、この日はアマチュアバンドが相手で、どのバンドの固定ファンもそこまで居ない状況でありながらも、MUSEほどではないにせよあまりウケず、さらに気分は重いものに成ってゆきました。



特にこの日でリズムの要の大西君と中戸君との間に、埋めようのない距離感が生まれてしまったように思います。



そういえば、この日に出演していた1つのバンド(確かメタル系?)のメンバーの一人はずいぶんイキった感じの若者で、リハーサルでも楽屋でも感じ悪かったんですが、ステージカッコつけてタバコに火をつけたのが運の尽き。消防法でステージ上は禁煙なので、いきなり電源を切られてしまい、演奏もできなくなりました。アレだけイキっていた若者が、シュンとして平謝りで土下座しそうな勢いで泣きついて、電源を入れてもらっていたのはよく覚えています。

でも、当日のマージービートの演奏は、あまり記憶に残らないものでした。



 


それよりも、ライブの後隣のおでん屋で飲んでた時、ノンストップカイマンの奥田さん(後のDJピリピリ)が「なぁ大西く~ん、ツェッペリンのコピーバンドやらへんか~。」としきりに誘っていて大西くんが迷惑そうにしていたのを思い出します。

奥田さん一体どのパートをやるつもりだったんだか?まさかロバート・プラント?などと、横で笑いをこらえながら楽しいお酒を飲んだことはよく覚えています。


飲んだお酒は奥田さんのおかげで楽しいお酒でしたが、マージービートはもう12インチレコーディング前の状態に戻れないところまで来てしまっていました。


 

そして、この後サンホールでの年越しライブ、そして翌年1月尼崎VIP2でのライブとなるのですが、ライブのしばらく前に大西君、田村君が脱退を申し入れ、そして戸高くんも手を引くことを宣言しました。それ以降週2のスタジオはキャンセル。


上記ライブ前には全く練習もしませんでした。


実は上記2つ以外にも沢山のライブがブッキングされていたのですが、2つはどうしてもキャンセルできなかったようですが、これ以外は全てキャンセルとなりました。


今思い出しても、残念で苦しい時間でした。


ただ、皮肉にもこのラスト2回のライブはろくに練習もしなかったにも関わらず、演奏も4人息がぴったり噛み合い、今までで最高の出来だったのです。



それだけに、とても悲しかった。


By:鈴木博之 with a help of 大西秀男

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