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Mersey Beat 上京物語

更新日:2021年10月19日


1986年に大阪にコレクターズを招聘した縁で、それ以降コレクターズのメンバーの方々と仲良くさせていただいていたのですが、今度は逆にマージービートがTOKYOに乗り込もうということで、コレクターズの方に企画をお願いして、6月19日、20日の2DYASに渡って新宿JAMでライブを行うBOOKINGをしていただきました。


前日の6月18日、マージービートメンバーと自分とトダカ氏の合計6名+1名? (ナガワくん?)が、2台の車に乗り込み夕方に大阪を出ました。 名神~東名高速を行くのですが、途中事故があって渋滞し、予定では朝5~6時ごろに付く予定が、首都高速で道に迷い、ようやく新宿にたどり着けたのは朝8時半近かったと思います。不眠不休でついたので、流石に疲れて、確か新宿花園神社で早朝にボーッとしていました。

大阪なら公園で寝るとか、車停めて寝るとか、そういう事もできるのですが、東京では地理感もなく、一体どこでライブまでの時間を過ごすべきかと悩みました。 車でウロウロ迷うこと1時間以上、西新宿あたりに墓地があり、そのあたりに車が駐車できたので(後でとんでもないことになります。)車を止め、近くにあったラブホテルに、休憩させてほしいと頼み込み、3部屋借りて(女性メンバーが1部屋、後男性達で2部屋をシェアー)2-33時間ほど仮眠しました。 ホテルのおばちゃんは、男性5人と女性1人いう大阪弁の怪しい人たちと、最初はいぶかしがったのですが、話すうちにわかってくださり、おにぎりと味噌汁まで持ってきてくれました。心にしみる味でした。たった2-3時間でたが、泥のように眠りました。 眠たいながらも起きて、さあ車のところにと戻ると・・・車がありません。(泣) 非情にも道路に張り紙がしてあり、「駐車車両はレッカー移動しました。新宿警察署まで来てください。」と書かれていました。 眠たいししんどいのに、おまけにレッカー移動!トボトボとあるき出し、通行人に尋ねながら新宿警察署に到着しました。 さすがパンク上がりというか、怖いもの知らずのマージービートの中戸くん、警官に「免許書を」と言われた際に、警官に向かってベッタンを投げる如く思いっきり投げつけました。幸いにも警官に当たらず机の上に落ちましたが、もし警官の顔にあたってでもしていれば、当日はライブどころではなく、留置場の中で1夜を過ごす事になったかもしれません。 罰金を払い、車は戻ってきましたので、今度は新宿JAM 近くの有料駐車場に移動しました。最初からそうしろよ!と突っ込みたいところですが、ネットもない時代、駐車場すらどこにあるかわからなかったのです。JAMスタの近くに駐車場があったのは本当に幸いでした。 少し早めに到着しましたが、しばらくすると、コレクターズの加藤くん、田巻くんが来られ、久しぶりの再会を喜び、機材を運び込みました。 新宿JAMは初めてでしたが、歴史のあるスタジオで噂には聞いていたので、ライブできるということが嬉しかったのですが、メンバーたちはレッカー移動の事を引きずっていて不機嫌でした。 そこで自分は、なぜか「侍ジャイアンツ」の”長島式喧嘩野球”のエピソードを思い出し、メンバーに「その怒りを演奏にぶつけろ!」などといい、戸惑うメンバーを知り目に、「そうだ!長島が怒りをバットでボールにぶつけたように、自分らはこのレッカー移動のフラストレーションを演奏にぶつけるんやで~!」と熱く説きました。 その効果の程はわかりませんが、寝不足とテンパりで、かなり気合の入ったライブになりました。 1日目、コレクターズは出ずに、(MCのみ)出演者は:The Red Curtain, The Wow Wow Hippies, The Strikes, The Phantom Gift、Mersey Beatの5バンドでした。 Mersey Beatはトップバッターでした。新宿JAMはコンパクトなので人で一杯。 その熱気はすごく、演奏中写真を撮ろうにも人が一杯で苦労しました。 マージー大人気やんか!と思ったのですが、実は次のバンドのための場所取りで、あまり乗るお客も少なく、見つめる人達の目の前で演奏するメンバーはさぞかし辛かったと思います。なかなかキツイ、アウェイの洗礼を受けました。 1枚目はリハーサル。2枚目以降は人だらけです。

加藤くんのMCから始まります。

早く終わりたかったのかも、前半よりも演奏速度が早くなって言っている気がします。 シングルは数枚売れたと思います。

The Red Curtainはマージービートのベースタムラくんいわく「The Tokyoみたいな人やね。しゅっとしてるわー。」ってことで、田島貴男さんのオーラーはすごく、圧倒的でした。MCで、今日でThe Red Curtainは終わりで、次からはOriginal Loveになりますって言われていたことをよく覚えています。

The Wow Wow Hippiesも初見だったんですが、カッコよかったですねー。「ドライフラワーブルース」が始まったときは鳥肌モンでした。

The Strikesは、リバプールから出てきたくらいの本物のMersey Beatサウンドとメンバーの決まった服装で魅せてくれました。もう、ミーハーな観客みたいに見ていました。

The Phantom Giftが始まると、親衛隊のゴーゴ―ガールズが黄色い声で大声援。酸欠で失神する人続出だったのには驚きました。救急車呼ぶ?って感じで何人もバタバタ倒れて征くさまは、さすがNEOGSの貴公子(?)と感心しました。後ほどコレクターズの関係者曰く、「JAMは呪われている」とのことで、ただならぬ雰囲気に飲まれてしまった夜でした。 ファントムギフトは親衛隊がガッチリ固めて写真が取れませんでした。

ライブ終了後、お疲れのメンバー

おまけとしては、出番が1番目だったので出口近くでアレキサンダーの5曲入りカセットを売っていたのですが、たまたま横で流してたテープの演奏がJacksの「この道」だった際に一人の紳士が足を止め、「その演奏は君たち?」と声をかけてくれ、カセットお買い上げいただき名刺を差し出し、「ライブテープをここに送ってくれないか?」と言い、去っていかれました。 名刺を見てびっくり!ジャックス定本の著者でファントムギフトのマネージメントもされておられた、高譲氏本人でした。その後どうなったかって?残念ながらアレキサンダーは解散してしまいましたので、この話はここまでです。でも、同じテープをコレクターズのマネージャーの熊谷氏にも差し上げたのですが、すごく気に入られ、ダビングして配りまくったそうで、「アレキサンダーを呼ぼう!」という機運が東京で高まったのは本当の話です。 ライブ終了後、バンドの皆さんで打ち上げ会場に移動しました。 ところが、居酒屋の店員のミスで予約したはずが入っていないってことで、店員が逆ギレしだしました。「聞いてねーよ!」って感じで。ここで朝のレッカー移動の怒りが爆発し、店員に向かって、大阪の連中は悪態付きまくって暴言を吐きまくっていました。横で、大人の加藤くんが、苦笑いしていましたね。その店員は後ほど、「俺が悪かったぜー」みたいな感じで生ビールをサービスしてくれました。憎めないやつでしたね。(と言いつつ、しばくぞボケー、もっと食い物もってこい!!) というような暴言を続けて吐き続ける大阪の輩もいたようです。(笑) 店を出てからは我々は2グループに別れ、KEYのカナちゃんとトダカ氏、ナカト君は、加藤くん家に、BタムラクンとDrオオニシクンと自分は田巻サン家に一晩お世話になりました。いやー、楽しかったですね。演奏の後の飲み会で随分遅くなっていたにも関わらず、遅くまで話に花が咲きました。

 

翌日はゆっくり目に起きて、お食事をごちそうになり、またJAMへいざ出陣となりました。 2DAYSの2日目は、コレクターズとの2バンドショーでした。昨日の喧騒が嘘のように、お客さんはコレクターズのコアなファンの方たちでした。 マージービートも2日目ということで、肩の力が抜けリラックスして演奏できました。

コレクターズは、もうプロ寸前の位置におられましたが、完全にプロの域に達していましたね。安定した演奏、加藤くんの世界観を全面に押し出した曲、そしてもうすぐプロになるという高揚感もあり、とても楽しいライブでしたね。





ライブの後は歌舞伎町へ飲みに行きました。黒田学さんや、コアなコレクターズのサポートの方々、片寄君もいたかもしれません。

新宿JAMは雰囲気のあるライブハウスでしたね。 この1年後違うメンバーでマージービートはもう一度新宿JAMでライブを行います。


いろんな話は尽きること無く、朝近くまで飲んだように覚えています。 その後どうやって帰ったんですかね?また車を10時間運転して帰ったはずなのですが、もう2日間で燃え尽きた感じで、帰りの車中は結構無口だったような?とにかく覚えていません。 おそらく1日目にいろんな事がありすぎて、詰め込みすぎたんでしょうね。

お上りさんだった自分は、東京ライブって感じで酔いしれていましたが、今から思えばメンバー達はプロの明確な壁を突きつけられた経験だったのではと思います。 とにかく、他のバンドは皆演奏がうまかった。演奏の間違いなど殆ど気づきませんでした。 そして、自分の世界を明確に持っていました。 それに比べると、マージービートは自分らしさを押し出し、もっと突き抜けても良かったのかもしれません。どこか遠慮して、手探りだったように思います。 2日目終了後にはその日のライブ録音を聞いて、反省会をしました。 中戸くんが、テープを聞いてみようと言ったのだとおもいますが、聴いているうちに自然とミスの指摘と反省会のムードになりました。 圧倒的な技量と魅せ方を目の当たりにしたからかもしれません。 自分たちの演奏は疲れのせいもありますが、ミスや息が合わないという反省点が多かったように覚えています。 やり遂げた達成感はあまりなく、場の雰囲気も悪く、皆静かにしゅんとしていましたね。 中戸くんは、ここから気持ち引きしめて前へ進んでいかねばという気持ちが強かったののでしょう。 中戸くんも、怒っても引きずる人ではなかったので、気持ちを切り替えて(?)か、どうかは覚えていませんが、打ち上げに行きました。 マージービートはこの後も新曲を作り、週2でスタジオ入り、ライブも月3くらいはこなし、精力的に活動していました。 そして、そのおかげもあってか、フォーラスのコンテストで優勝することとなります。 そのお話は、またの機会に。


間違い、思い違いありましたらお教えくださいませ。 By:鈴木博之


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