Mods Mayday 85'へ その2

更新日:2021年10月19日



原宿~青山とスクーターランを徒歩で追って適当にブラブラしていい時間になり渋谷へ


改札出るとパーカーを着てギターケースを持った人待ち顔で立ってる奴がいたので話しかけてみた。彼はオープニングアクトの若手のバンドSHOUTの友人でメンバーにそのギターを渡すために待ち合わせているんだという「今日はどのモッズバンドも軟弱なので今夜はギターぶっ壊すらしいからスペアのギター持って来てくれって呼びだされたんだ」と。そんな年少な彼らなりの抵抗というか反抗心に妙に共感を覚えたな、 SHOUTの「ウスノロBEATが俺に云うけどウスノロBEATが俺に️‼️」という歌詞が印象的なバンドだったな。後のVenus Peterのメンバーが在籍してたと思う



MODS MAYDAY 17時半オープン、会場の渋谷のライブインは昭和なビルの上層階にあり新宿Jamの1・5倍位のキャパで今にしてみればさほど広くはないライブハウスだった。イベント自体は現在のようにオールナイトではなくて23時でおひらきとなる。


先ほどのスクーター達が続々とライブインに到着するや周辺は路駐で埋め尽くされると、どこで調達してるのか判らない服やオーダーメイドのスーツを纏って誇らしげなMOD達が談笑している、僕らはあの映画で観た光景を現実のものとして、またそれ以上に東京ではすでにカルチャーとして定着し手探りながらも熟成されていることにこそ圧倒されました。


エントランスでは丸いナンバープレートが一人一人に配られていて後のダンスコンテストの選考に使われるという、パンク上がりで上下に飛ぶポゴダンスしか知らない僕ですら付けて入場してました(笑)これまで当たり前だったバンドとオーディエンスという関係ではなく明らかに会場にいるMOD達が主役の手作りのシーンでありダサい奴は寄せ付けない空気感やシーンに対する敬意を感じ大人だな️と思った。


ステージ毎にアライ氏の司会が挟みバンドを紹介、それがまたいい感じだった。

ジャムやネオモッズなどから影響受けた音にMODSの日常を描いた日本語詞を乗せるネオモッズ系のサウンドが主流の中、とりわけ異色な存在だったのがBrightonBlueBeats(後TheACEと改名→TheHair)自分がバンドをやるきっかけはこれを観たからだ。


セッティング中DJの流すNight Trainにギターを重ね弾きオーディエンスを煽るアツシ氏の隣で司会がクールに紹介する「次はMaximumR&BのBrighton.B.B」ガーーン‼️と聴いたことのないスリーピースの黒い音、上半身裸でバスドラ踏みっぱなしの狂ったドラマー、そのフリーフオームなR&Bに醒めた熱さを感じそれがたまらなくカッコ良くて心奪われてしまった。


「これが本当のモッズバンドだよ」と隣に居合わせた奴が云っていた。



そしてダンスタイム❗

ステージサイドにはお立ち台がセッティングされていてメインステージには綺麗なダンサーが踊りアライ氏が司会進行されるメインイベントでした。

フロアでイカシタステップを決めて目立つ奴は受付で付けたナンバープレートの番号をご指名され、お立ち台に上がり披露するという嗜好でした(笑)「キミはどこから来たの?名前は?」みたく司会のマイクで簡単な質問や紹介されるわけです。

するとフロアは一際ヒートアップ!ここぞとばかりに心ある者は見たことのないステップを披露し何十人もステージに代わる代わる上って盛り上がりました。



僕はといへばダンスもなにも全くステップなんて踏んだことないので盆踊りの要領で前の人のステップを必死に真似するのが精一杯でした(笑)そんな瞬間が写真に写ってました


まとめ

この刺激的なメーデーから関西に帰ってきて数ヶ月後、仲間を増やさなきゃ!なんとかシーンなるものを創らなきゃ!と空回りしながらも仲間とSKを始動させることになりました。


85年のメーデー以降90年まで毎日欠かさず5・18に上京するのが楽しみだった。

面白いのは一年毎でシーンの様相が変化してく様が刺激的だった事、まさかこの時の関西の少年がメーデーに89年と90年に出演する事になるとは感慨深いです、それはまた次の機会に! BY: ツクダシンゴ

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