New Direction Vol.4

更新日:2021年4月12日

Vol.1発行からほぼ1年、ようやくVol.4までこぎつけたものの、このころにはSaturday's Kidsのライブパーティーは既に1987年を最後に行わなくなったため、Saturday's Kids自体その存在意義がよくわからない状態になっていました。 ブラック企業を体を壊して3月末で退職したために、逆に時間ができたので、特集を組んだり、いろいろ内容を充実させ、今までの倍くらいの26ページとなったものの、製作者は今号で燃え尽きてしまいました。というわけで、最終号でした。

製作者は(今はこのホームページ作っています)はこの後マージービートメンバーとともに過ごす時間が多くなり、最終的にはマージービートのマネージャーとなり、最後のメンバーチェンジ及びその後のライブにも携わるようになります。


 

表紙はピート これらの元画像もあまり出回っていないもの(自分の感覚で)を選んでました。 著作権という意識ありませんでした。




 

色々他の雑誌とかを研究し、それっぽい感じに仕上がっていますね。 編集者の愚痴は最終ページのほうへ移動しました。




 

なぜ2Tone特集なのか?なぜ2Toneを選んだのか? おそらく、他の雑誌であまり書かれていなかったためだと思います。 とにかく資料集めに苦労した記憶があります。


 

Specials、Madnessについての記事。 CLASHがCRUSHとなっていたことに、今頃気づいて大汗(笑)

SPECIALSはあまり資料が無くって、書くのに苦労した記憶がある。 ちなみに、イギリスのラジオで一番流れるのSpecialsの曲は "Ghost Town"だったりする。 数年前に再結成ライブに行ったが、2500人キャパのカムデンのライブハウスは満杯で、当時の若者=今は中年が大暴れして、かなりすごい盛り上がりのライブだった。 当時の若者はもっとすごかったんやろうね。 North London Inveders(のちのマッドネス)の曲はなぜか当時ジャケ買いしたコンピレーションレコードに収録されていて、好きだった記憶がある。




 

The Selectorは未だ現役です。

The English Beatも人気があったようですね。いまだにラジオでたまに流れます。


 

このあたり、当時の日本というか大阪では本当に情報不足で、書くのに苦労しました。

BAD MANNERSは、日本での人気は正直あまりわかりませんでしたが、イギリスではかなり人気だったようで、VOCALはテレビCMにもよく出ていました。


 

More Specialsの記述に間違いあり。Rat Raceはシングルのみでイギリス版にも収録はなし。 Tears of Ciownなわけないよね。Tears of Crownです。


 

いつもバンドインタビューはツクダ氏でしたね。 ライブは盛り上がりましたよー。

メンバーの方も楽しんでて、ステージのMCで「大阪来てよかった」って佐藤さんがおっしゃっていたことを思い出しました。



 

SKA特集。 今から思うとよく書いたな、と思います。 かなり力が入っていました。

Prince Busterも資料が無かったですね。 今は当たり前にE-BayでBlue BeatのEPなど買うことができますが、当時は本当に入手困難でした。

POTATO5とはMods Mayday 87 Osakaで共演しました。 ギャズメイオールにその時"Gaz Rock'in Blues"のライブテープをもらい、これを日本中に広めてくれと頼まれましたが、いろいろ頑張ったものの日本ではあまり受けませんでしたね。その後渡英して、"Gaz Rock'in Blues"のライブに行きました。Potato5もローレルエイトキンにも再開しましたが、ロンドンの方が盛り上がって力も入っていましたね。 大阪ライブは時差ぼけだったのかもしれませんね。




 

今だったらもっといっぱいのレコードも手に入るし、情報もたくさんあると思うのですが、この当時はこのくらいでいっぱいいっぱいでした。


 

次号で掲載予定と書いていますが、ほんとに原稿ストックあったのかな? 今となってはもう謎ですが。




 

ツクダシンゴ氏の力作B級GS特集。 まさにこの後にネオGSブームが来ます。 先見の明があったんですなぁ。



なんでか全く覚えてないけど・・・Jampin Jackレコードにずいぶん肩入れしてますね。 お金もらってたとかそういうことは全くないですが、他のレコード屋が中古でも値段が高かったのはよく覚えています。You Tubeなどない時代でしたので、メシを抜いてでもレコードを買い、おまけにジャけ買いで外れることもしばしばでした。今から思えば懐かしいですね。


 

マージービート中戸君のコーナー。 最初で最後の企画となってしまいました。




 

ライブレポート。 スタイルカウンシルは本当に酷かった事を覚えています。 手抜きてんこ盛りで、ホールも動けないような巨大ホールで盛り上がれない悔しさをどこかにぶつけたかったのでしょう。うどん屋にぶつけてしまったようです。 マージービートはベースが山本君から田村君へ交代後の初ライブですね。 個人的にも友人だったこともあり、好意的に書いてますね。 もちろん、彼のベースプレーは非の打ちどころはなかったですよ。


ブルーハーツは大阪2回目のライブでした。 この時は、ライブの後にヒロト君に会いに行って話したり、ベースの川口さんに、「汗いっぱいかいてるね~。いっぱい踊ってくれてありがとう。」って言いながら、汗を拭いてもらったりしました。なんてバチ当たりな!って怒られそうです。 オオニシ君の新企画は苦し紛れのスペースを埋める企画でしたね。 「あなた元気?私キンキ。」は今は亡きキンキ中古車のCMですね。大阪ローカルしかわからないネタです。


 

これはもう、見ての通りのおふざけインタビューですね。 もともとはちゃんとしたインタビューとして行うつもりが、まぁ友人ゆえの仲良さからチャラけてしまい、記事もそのままチャラけた内容となっています。





 

New Directionの副編集長というか、お手伝いだったヤスイ氏のコーナー。 彼はMODとかの縛りにとらわれず、自分の好きなTalking Headsの事を書いていますね。 彼はほんとHeadsが好きでしたねー。イヤー懐かしい。David Byrneはその後どうしたんですかね?


 

今までにない大増量ページを作り上げたことからの疲れてと、反響がほとんどなく、手ごたえのない状況から来る苛立ちのためですかね、またまた尖ったパンク時代に逆戻りしたような文章ですね。お許しのほど。 まあ、文章に書いている通り、ファッション野郎が街にあふれて、MODSなんだか、なんなんだか?という感じで、声をかけてもMODではない奴らだらけやったのも事実です。 宝島MOD特集の影響は大きかったですね。 この号を最後に、NewDirectionを発行しなくなりました。 ただ、この号を作り上げたときは、次号の構想を持っていたようです。

次号の特集にも触れていますので。

続かなかった理由ですが、考えるに「お金と時間をかけていた割には手ごたえも反響もない状態に疲れた」というところでしょうか。 また、saturday's kidsとしてイベントを主催しなくなった事も一因ですね。

イベントがあればそれに向けて製作していたと思いますが、度重なる赤字とその負担で自力でイベントを行う限界を感じていたのも事実です。 さらに、マージービートへのインボルブメントも、もう1つの原因ですね。 観客としてみているのとは大違いで、毎週2回1回あたり2時間の練習、月3回以上のライブをスタッフとして一緒に帯同するようになったので、頭の中はずっとマージービートになりました。さらにバイトも始めたので、バイトとマージービートで一杯となり、その結果時間を割くことができなくなったとのも一因です。 もしあの時代に、今のようなホームページが作れるような環境があれば、全く違ったでしょうね。 でも、当時はすべてアナログでした。原稿はワープロを打ち、文字のサイズも修飾もデザインもできないので、印刷リボンで擦った原稿をカッターナイフで切り貼りして、1ページごとに版下を作り、おまけにコピー機は家にないのでコンビニに行くのですが、枚数が多いのと占有率が高いのでコンビニでも嫌がられ・・・てな感じでした。 幸いこの号の製作当時は仕事を辞めてフリーでしたので時間の自由だけはあったので、あり余った時間を文面の作成に反映できたのでしょう。 当時はとにかく完成させることだけ考えて日々作業をしていた記憶があります。 あれから30余年、あの当時はいくら頑張ってもあまり売れなかったのですが、今になって一部でプレミア価格が付いたり、当時のコピーを大切に保存いただいている方がおられるさ事を聞くと、とてもうれしい気持ちになります。あの時もがき苦しんだ事が、今になって報われたように思います。


 

裏表紙はマージービートのEPの広告でした。


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