Saturday's Kids以前の関西MODシーン

更新日:2021年5月2日

「さらば青春の新宿JAM」で、冒頭コレクターズの加藤くんがつぶやく・・・。


”さらば青春の光、そこに写ってたMODS、一発でやられたね。もう、MODSになるしかない。”


まさに、この言葉と同じく、Saturday's Kidsの夜明け前も「さらば青春の光」から始まったといえるかもしれません。 まあ、こんな感じでサラッと言うと、下を噛みそうになる河内のコテコテ大阪高校生の自分たちは、ステレオタイプで大阪風に言うと、 「ワイは大阪一のMODSになるんや!」てな感じだったということでしょうか。 1981年、大阪。 大毎地下劇場の前に、数人のパーカーを着た連中、パンクっぽい高校生数人、その他目立つ服装の人たち、がたむろしていました。中には魚釣りパーカーを羽織った人もいました。 「さらば青春の光」の再上映を見るためにです。

そこには、京都のZOOT CLUBというMODSかどうかはよくわからない人たち、 (危ない方もいたとか・・・よくわかりませんが。)MODS系が好みの大人の方たち。マージービートのギターの中戸氏、のちのマージービートのドラマーになる花石氏。 そして自分たち当時高校生だったSaturday's Kids創設メンバーのMODSとは言い切れない半パンクの我々(当時高校2年でした)と、後にマージビートマネージャーとなるトダカ氏。 それ以外にもBrighton 親衛隊と呼ばれた女性たち、女の子だけどパーカーを着た、女ウェラーと呼ばれる女子、(Paul Wellerと特別な関係だとかどうとか噂の人。)大阪MODの大人たち数名、シワさん、ミムラさんたちでした。

他の人は、何度目の再上映かはわからないが、すでにパーカーも着て、見た目もMODSでした。 自分たちは、加藤くんの言葉ではないですが、映画を見てすぐに感化されました。 かっこええ~!俺もMODSになる!本気でそう思いました。 ちなみに後日談で聞いた話では、上映後喫茶店でマージービートの中戸くんが、「ドラムが抜けてね。」みたいな話をしてて、花石くんが、「じゃあ俺どう?」みたいな感じで加入が決まったというようは事があったらしいです。

映画以外で自分がよく覚えているのは、トダカ氏が、満員で座れなかった映画館で「だるいわ!」と言いながらタバコを吸い出したことと、仲間の一人がポスターをパクって帰ったと言う事でした。 大阪ノリキツイなぁと、思いつつ帰ったことを思い出しました。

MODSになる!というものの、 それからが大変でした。

まずは服装。三つボタンのスーツは古着でも殆ど売って無くって、高校生の自分では作るわけにも行かず、キャバーンもメランディも大阪では売ってないので、神戸の元町の高架下やDEPTに毎週通って探したりしていました。三つボタンだったら多少サイズがキツかろうが大きかろうが構わないくらい、探すことが困難でした。


サイドベンツが手に入ったときは大喜びで、どこに行くにもそれが一張羅でした。 ストライプの三つボタンジャケットを手に入れたときは大喜びでしたが、高校のMODを知らない友人には「ダイマル・ラケット」と言われたり、別のメンバーは、日本橋の五階百貨店で「兄ちゃん、漫才士?」などど真顔で言われたりしました。 後にイギリスに来て、これらのストライプジャケットのデザインはイギリスの私立高校の制服であることを知りました。 (それって、逆やったら詰め襟の学生服着てる感じ?などと思ったりしました。) その後社会人になり、スーツを作れるようになると、高槻の西武百貨店のスーツ売り場のおっちゃんが、其のへんよくわかってるという口コミで、西武百貨店高槻店のイージーオーダースーツ売り場はSaturday's Kids御用達となりました。 実際自分も数着、イッチュウは4着作ったそうです。中には10万円もするシルクの赤の玉虫生地で三つボタンスーツを作ったツワモノもいました。 ただボタンを3つつければいいだけではなく、ボタンの位置や襟の大きさや、その他デザインがきっちりしていないとシルエットが悪く、しっくりくるためには、作りなれている人じゃないと、タダの不格好な変な形のスーツに仕上がるからです。 実際自分は当時働いていたブラック企業(某メーカー直系の自動車会社)が、なぜか社員にノルマで最低1枚オンワード樫山のスーツを作らねばならないと命令が来て、其の際に三つボタンで1枚作ったのですが、6万以上出した割にはとっても不格好(襟、絞り具合、ボタンの位置などなど)で、結局あまり着ることもありませんでした。いくらこっちが指示しても、向こうが言うことを聞いてくれず、やれそんな事したらどうだとか、うるさかったことを覚えています。 その後はオーダーできるテーラーも増えて、ミナミの一部の紳士服のイージーオーダーでも作れるということで、其の店で青のラメ入りの三つボタンスーツを作ったツワモノもいました。

パンツも気に入った柄のを四天王寺の大師会や、古着屋で買って、自分で裾を絞っていました。近所のお直しのお店に頼むと、「ラインが崩れる」だの、「マンボズボンになる」だの、なかなか嫌がってしてくれないんですが、「それでもいいのでぜひお願いします」と、無理やり頼み込んでいました。

パーカーもなかなか売ってません。 売っているのはミリタリーサープラスの宗右衛門町の「ガラクター」くらい。 それも、めったに入荷しません。 ようやく手に入れられたのは本物ではなく、コピー品でした。 (それから数年立つと古着屋にパーカーが溢れ出します。本物が変えるようになってから、自分は買い直しました。そのためパーカーはコピーも含め2枚あります。)

フレッドペリーも白以外のライン入りなど手に入りませんでした。 白のテニス用しか無かったですね。 でも、工夫して自分なりのおしゃれを精一杯していたつもりで、自分はかっこいいと思っていました。

高校生の頃。イッチュウは決まってますね。それに比べて利夫と自分はかっこ悪いですが、気持ちでは負けていないつもりでした。


当時、日本では The MODS(森山MODS)の「激しい雨」がCMソングになっていたこともあり、MODSというと、「ああ、あのバンドのファンなの?」と言われてしまうので、 いつも、「さらば青春の光という映画があって、その中でMODSというファッションと言うかライフスタイルの若者が・・・」と説明するしかなく、説明しても誰も???と言うことが殆どでした。

大阪の場合、輸入レコードもMODS系の物はあまりにも少なく、もちろんMUSIC VIDEOも、深夜番組のSONY MUSIC TVを夜中を通してみても、MODS好みのバンドのMUSIC VIDEOが流れることは皆無でした。 レコードも、有名どころというか、THE WHO、SMALL FACES、The Kinks, The Jamや、日本版が出ているレコードはまだ聞くことが出来ますが、当時オンタイムのネオモッズ系は聞きたくっても聞けません。ある時偶然に手に入れたイギリスからの輸入盤でSecret AffairやSquire, Marton Parkersなどを聞いたときには「これがネオモッズなんか!」と大興奮。内容よりもNEOMODSバンドの音が聞けるということに感激し、擦り切れるくらいまで何度も聞きました。 当時は関西ではMOD系アマチュアバンドといえば、ブライトン、マージービート、チェルシーが御三家でしたね。よくライブにも通いました。

それから数年してMods Mayday85に参加したメンバー達からSaturday's Kidsが始動します。道を歩くMODSっぽい子に声をかけたり、雑誌んメンバー募集広告を見てそれっぽいバンドをやっている子に会いに行ったり、ライブでそれっぽい子に声をかけたり・・・。地道な勧誘活動が功を奏し、徐々にではありますが、Saturday's Kidsのメンバーが増えてゆきました。 そういえば、Saturday's Kidsの創設メンバーイッチュウは、「さらば青春の光の中で、サンドラのパーティのシーンが有るやろ、俺もあんなんやりたいんや!」と熱く語り、実際に1回目のクリスマスパーティーは会場選びからマージービートとの打ち合わせまで彼の尽力によるところが大きいです。 その後、Saturday's Kidsはライブパーティーを企画、運営し、FANZINEを発行し、さらに沢山の関西や岡山などのMODたちと知り合い、一緒にシーンを作って行きました。

その数年後には宝島でMODS特集が組まれ、MODSもファッション、若者の文化として認識されるようになりました。 それでも、東京都比べると大阪は比にもならないほど小さな規模でした。


「MODSになる!」 自分はこの頃に感じたこと、考えたこと、ファッション、生き方、スタイルの基軸は未だにそのままです。 洋服を買う時、無意識でストライプ柄や水玉柄、ペイズリーに引き寄せられ、シャツはボタンダウン。スーツ、ジャケットは三つボタン。そして保険が切れてますが、未だにベスパを手放せずにいます。 そして、自分の考え方の基軸は未だ「さらば青春の光」のジミーのセリフそのままです。 Look, I don't wanna be the same as everybody else. That's why I'm a Mod, see? I mean, you gotta be somebody, ain't ya, or you might as well jump in the sea and drown.

そして、あの頃に熱い時間を過ごした仲間たちは、今もかけがえのない存在であります。 これらの写真は東京の雑誌に乗るからということで、関西MODS大集合時の写真です。 Saturday's kidsの面々、マージービート、ブライトン、後のCHAOOメンバー、などなど。 グループ名が決まり、形はできたものの、行動はこれからという時期でした。 場所はミナミの三角公園です。



道頓堀の橋の上で撮っています。 ひっかけ橋は人が多すぎて、御堂筋沿いのところです。 そして、右はかに道楽の前です。なんでこんな変なところで? 大阪らしい場所かもしれませんが、センスが無いというか、よくわからないないですね。 どうせならグリコの看板を背に撮ればよかったですね。


Saturday's Kids結成以前のパーティー。日時等不明。 古参MODSのミムラ氏、シワ氏が写っておられます。



By 鈴木博之

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