Saturday's Kids

更新日:2021年5月4日

Osaka Mod group at 1985-1989


 





 

Saturday's Kidsは1985年大阪のMOD達を中心に結成されました。 ライブの企画、開催、New Directionの発行を行い関西のMODムーブメントの牽引役となりました。 1985 Mods Maydayに参戦したイッチュウとDave達。 圧倒的な光景を見て、衝撃を受けたそうです。 写真は:沢山のデコレーションしたスクター、バッチリ決めたきれいなお姉さん方、 The Bike(後のThe Collectors)、Page Three、High Style、Brighton Blue Beats

1985年、東京MODSメーデーに観客として参加した発起メンバーたちは、バンド、ファッション、スクーター、などすべて圧倒的だった東京MOD達に触発され帰阪してから興奮のうちに「大阪でも何かをせねば」という気持ちにから、関西に散らばるMODS達を集結し、ムーブメントを起こそうとして、MODグループSaturday's Kidsを立ち上げました。 ライブ、パーティーの企画、運営。New Directionの発行などを行い、その中核にいるMODバンドとしてMersey Beatが存在しました。

当時のメンバーの一人が、このグループ名をThe Jamの一曲から「Saturday's Kidsっていいんじゃない?」って感じで決まった(もっと話し合ったかも)訳ですが、この曲にはかなり大きな政治的なメッセージが込められていることをのちに知ることとなりました。 この曲は典型的なイギリス労働者階級の日常と悲哀を歌っていますが、 最後の方の歌詞に、

Not given a thought - its the system - Hate the system - what's the system? という歌詞が出てきます。 この当たり前の社会を疑い、おかしいではないかと、ポールウェラーは問いかけています。

偶然に選んだグループの名前でしたが、自分たちの置かれた日常のシステムとそれに対する反抗心には我々の心に通じるものがありました。 また、マージービートの曲も、社会風刺、戦争の問題、など社会のシステム、問題に贖う内容の曲が多く、我々も支持、応援していました。 ただ、東京と比べ圧倒的なMOD人口の少なさと、「大阪」という土地柄ゆえの、メディアの発信の困難及びライブパーティー、FANZINE発行はすべて一部スタッフの持ち出しで、圧倒的な赤字を一部スタッフが常に補填という状況が続き、Kids Over PartyはVol.4をもって最後となり、New Directionは4号が最終号。ライブパーティーも1987年12月31日をもって終焉となりました。

わずか3年程度でしたが、当時メンバーだった若者たちは弾けまくって、エネルギッシュにその一瞬一瞬を精一杯楽しんでいました。

あれから、30数年、あの頃の自分たちを振り返るにつけ、輝いていた日々がまぶしく感じられます。

その甲斐あってかどうかはわかりませんが、今や大阪でもMODS MAYDAYが開催されるほどになり、スクーターランもたくさんのスクーターで行われるようになりました。 当時の私達からすれば、感涙ものです。

85年-88年当時、New Directionの編集、Saturday's Kidsのライブパーティの企画運営、 Mersey Beatのスタッフ、マネージメントなどを行っていた自分が、撮りためたり、保存していた当時のアーカイブ資料をいつか公開できればと思っていたのですが、今回当時のメンバー達の協力、そして背中を押していただき、公開することができました。 資料は一部紛失していたりして、まだまだ足りません。 当時のビラや音源お持ちの方でご提供いただける方はぜひご協力ください。 Angry Young Manを地で行っていた大阪MODS達の情熱と心意気が少しでも伝われば嬉しく思います。 2021年4月9日 鈴木博之

 

当時20歳のワタシです。若いですねぇ~。

 

Saturday's Kids 募集ビラ


 

オールナイトライブパーティー後、難波 PALMS前にて。


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