Saturdays Kids~The Gear結成前夜

更新日:2021年10月19日

Saturdays Kids~The Gear結成前夜 Saturdays Kidsの仲間として田中と吉山の二人に出会ってから三人でスクーターに乗ってつるんで遊ぶようになっていた。

吉山はバンドメンバー募集で連絡してきたドラムの廣山さんとアレキサンダーというバンドを組んでおり、吉山の家に行くと自分の知らないGarageやBritishBeatを色々教えてくれてレコードも貸してくれた。 またその吉山のお姉さんがストーンズのマニアでストーンズをはじめレアなBritish Beatの海賊ビデオを海外から取り寄せており、動くそれらを観せてもらって大変感化されたな。 そんな感じで当時ネオモッズしか知らない自分はモッズのルーツとしてのオリジナルモッズの志向に開眼して60sの服や音楽とりわけそのベースとなるBlues、RnBの原曲をより深く掘り下げることに夢中になっていった。 そんな頃、皆で行った東京MODSMAYDAY86にてのBrighton BlueBeats(The ACEと改名後The HAIRとなる)とSKのKids Over PartyでのThe ACE来阪ライブを体験したことがその後のRnB志向を示唆する意味でとても大きな出会いだったな、例えるならブリティッシュインベンションの影響受けたアメリカ並みに(笑) 当時のNew Directionを読み返してみると大阪は666、京都はコクーンといったパンク系輸入ロックファッションのお店に吊り下げのキャバーンやブレッドペリーが扱われだして簡単に買えるようになってうんざりだ️みたいな記述があるようにモッズの人でなくてもモッズファッションとしてそれらを取り入れられだして皆と同じ服を着ることに辟易していたようだ。60年代当時もモッズがファッションとして商品化され衰退していったように。 そんな当時の自分達の写真をみると夏でもコーデュロイやツィードのジャケット、スラックスはワイドベルトに膝下はスリムではなくストレート、股上はローライズに直したり、黒のソックスに靴はチェルシーブーツとバブルの華やかで眩しすぎる世間にまるで背を向けるようにアナクロになり地下に潜った(笑)若さ故に思い込みも激しくこれから向かうべき方向はハードコアに60年代当時のオリジナルモッズになりきり真似されない程に掘り下げるしかないと考えるようになっていきました。 そんな感じだったからか翌87年になるとSKやマージービートのライブから徐々に距離を置くようになっていったな。 自分はSaturdays Kidsの名付け親でわずか二年足らずだったSKの仲間も足並みの乱れというかモッズを卒業する者も出たし自分が求めている理想のモッズシーンとのギャップも感じていた頃でもあった。 関西には今自分達が観たいバンドもなく退屈だから自分達が観たい理想のバンドをやろうよと田中と二人で話し合うようになった。 田中は楽器はなによりブルースハープを吹きたいと、当然Voということなんだけど歌った経験は全くないが意気込みはあったね。自分はベースは持っていたけどバンド組んだ経験はゼロの初心者、ビルワイマンのように指で弾きたいと理想のスタイルだけはいっちょまえにもっていた(笑) そんな二人の話を聞いた吉山が一緒にやろうやと。ドラムの廣山さんと二人で合流しスタジオ入ってやってみようよと言ってきた、願ってもない話だ。 なんでも彼らのバンド、アレキサンダーのBass田村とVocalの大西が、掛け持ちのマージービートのリズム隊としての活動が忙しくなり、アレキサンダーとしての活動が難しくなっていた頃だった。 そうして四人が揃いRnB志向のバンドを結成することになった

つづく by: 佃シンゴ

閲覧数:598回0件のコメント

最新記事

すべて表示