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Sunhall All night Party

更新日:2021年5月2日


Saturday's KidsはKids Over Party以外ではSunHallで年越しライブパーティーを行いました。


初回は1986年の12月31日~1月1日、2回目は1987年12月31日~1月1日で行いました。 Kids Over PartyがVol.4で終わりにすると決めた際に、年末になんかやりたいなぁ、と雑談ベースでトダカ氏と話していたんですが、実際会場借りてとなると、当時の関西の既存ライブハウスでは独自のパーティーもあるし、また音の問題もありできるとしたら、難波のサンホールかな?みたいな話になりました。

もともとサンホールは、ボウリング場の地下2階にあった大浴場&サウナ跡地でした。大浴場、サウナとしてはうまくゆかなかったみたいですが、誰のアイデアかは分からないですが、ここで音楽イベントの貸しスペースにしたら面白いかも?みたいな話があったのかもしれません。地下2階ということで音漏れもなくオールナイトでのDJパーティーなどもちょくちょく開催されていました。当時は大浴場もそのまま、サウナ室もあったりして面白い空間でした。ここで年末年越しライブパーティーとか出来たら面白いかもって話になり、トダカ氏がサンホールに打診したところ、問題ないですよとのことでしたのですぐに会場を押さえました。

ただ、貸しホールですが音響設備も照明も当時は何も無かったので、すべて自分たちで手配して、Saturday's Kidsの中から照明係を選び行いました。ゼラチンライトがほしいところでしたが、凝った照明は高いのでPin Spot2本のみと、おまけで色セロハンがくるくる回って背景画の色が変わるような照明を格安で借りました。音響はスタッフ付きレンタルでいくらみたいな感じだったと思います。


飲食品も持ち込みが出来ました。(もちろん清掃は自分たちでやるという前提で) 年越しのお祭りイベントということで、コーラなどをケースで買い、フードは松屋町から仕入れた駄菓子で,ワンドリンク&ワンフードと言う形態で行いました。


第一回目1986-97の出演バンドは、 Alexander, Sharbets with Beggers, Chaao, Mersey Beat,Blue Boys, Travelin’ Shuffle Monkey Tambourine

の7バンドでした。


アレキサンダーのステージ

シャーベッツのステージ

受付のトシオとイッチュウ


残念ながら、自分の手元には当時に写真は数枚しかありませんので、当時のビラと写真を掲載します。

大晦日の高揚感と初めての年越しイベントということもあり、盛り上がった記憶があります。 集客はぼちぼちでしたが、深夜で年を越してから着てくださった方もおられました。中には、お一人アメリカ帰りで伊丹から直できたので米ドルしかないという、変わったお客さんもいました。丁重にお断りし、友人にお金を借りていただき入場されました。 収支は1回目ということで、大目に見て予想通り赤字でしたが、それでも、まぁ補填可能な金額だったと思います。サンホールのおっちゃんに鍵を返してホールの点検をお願いしたときに「どないでした?儲けはりましたか?」と、コテコテの大阪ノリで聞かれたことを思い出します。「はぁ、ぼちぼちで」とお決まりの返答で返しておきました。 1987年1月1日、朝5時頃ホールを出て、道頓堀の金龍にラーメンを食べに行きました。ラーメンは正月価格で通常400円が1000円くらいして、でもどこも店空いてないんで、仕方なく金龍で食べました。お金を渡すときに手がすべり、スープの中に千円札が落ちてしまったのですが、店の兄ちゃんが「まあええ出汁でるやろ。」とニヤリとしていたことを覚えています。

ほんと、こんなどうでもええことばかりよく覚えてますね。(笑)




 


2回目は1987年12月31日~1988年1月1日に行いました。

前回音響代金が結構かかったのですが、たしか前回の「つるや千年堂」じゃなく、「亀屋万年堂」(この辺冗談みたいな話なんですが、たしか本当にこんな名前でした。)にして、費用が安くなったことを覚えています。 照明は同じパターンでレンタル、飲み物、食べ物は正直あまり覚えていませんが、おそらく前年度と同じだったと思います。


出演者は、Dead Balls, Sharbets, Chaao, Mersey Beat, ノンストップカイマン, ストライクスでした。

2回目ということで、前回ほどの新鮮さがあまりなかったですね。

ダシオ君はバンドではなく、司会をお願いしました。




Dead Ballsは1番バッターということで、場を暖めてくれました。







その後の特別編成バンド、(ボーカルがシャーベッツでバックが別バンド)の「横須賀GO!」は盛り上がりました。






次はCHAAO、たしかWoopiesと掛け持ちで忙しかったと思います。 売れっ子ですねー。

シャーベッツの演奏でどんどん会場のボルテージは上がりました。 きょうこちゃんはフロアーに降りてきて歌うくらいノリノリでした。

つぎのノンストップカイマン登場で、最高潮に達しました。ルンバロックで皆踊って楽しい時間でしたね。

カイマンのピリピリさんとは、自分はCHAAOを通してお知り合いになりましたが、なんとも味のある方で、面白い方でした。もうお亡くなりになってだいぶになりますね。 当時はジャンルを超えて仲良くしていたバンドの方々が多数いました。 大阪の特徴かもしれませんね。 オールナイトなので、眠気も襲いますね。

また、マージービートはこの日を最後にドラム、ベースが脱退し、トダカ氏もマージービートのマネージメントから降りるということで、自分たちはなんとも重苦しい雰囲気の中で運営していました。(関係者以外其のことは知らなかったはずです。)

ただ、皮肉なものでこの日のマージービートの演奏は、ここ数ヶ月の中で一番息が合った最高の演奏でした。フォーラスでの優勝、副賞のレコード製作あたりから、歯車が狂い出し、メンバー同士のすれ違いから、結果最悪の結末となったのですが、この日が最後という万感の思いがあったのでしょう。



Saturday's Kidsの仲間たち





採算は大赤字でした。2年目ということもあり1年目ほどお客さんも入りませんでした。 あー、思い出したくもない赤字でしたね。2桁万円でした。 しかしながら、全額トダカ氏が支払いました。


このパーティーでマージービートからトダカ氏が降りてしまったことで、Saturday’s Kidsとしてのイベントは一切行われなくなり、実質この日を境に消滅したと言えるでしょう。

自分は袂をわかったというわけではないですが、マージービートをこれで消滅させたくは無いという思いでマージービートとともに行動してゆき、継続してサポートを続けましたが、想定外の出来事が起こり6ヶ月後に離れる選択を取るしかありませんでした。


其のお話は、またの機会に。

By:鈴木博之

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